京王線の百草園駅近くにある「京王百草園」を散策しました。
この庭園のある地域には、平安時代末期から鎌倉時代にかけて、鎌倉幕府の御願寺であった「真慈悲寺」があったとされており、江戸時代の享保年間には第二代小田原藩藩主「大久保忠増」の正室であった松平忠弘の娘「寿昌院慈岳元張尼」が徳川家康の長男「徳川信康」を追悼するために「松連寺」(明治初期に廃寺)として再興したと推定されているそうです。
この庭園は、このような歴史を有する寺の跡地に開設されたものです。
■ 松連庵と三櫟庵 園内の建物は「松連庵(しょうれんあん)」と「三櫟庵(さんれきあん)」の二棟で、いずれも茶会やイベントなど色々な活動に利用されているようです。
たまたま「松連庵」では、秋景色の中で琴の演奏会が行われおり、暫しの間、日本伝統の琴の音色を楽しませていただきました。
寿昌院自ら植樹したと伝えられている「寿昌梅」越しに見える茅葺の「松連庵」と見晴らし台から見た「松連庵」です。
茶室「三櫟庵」です。
■ 日本庭園 この庭園は、多摩川の浸食によって形成された右岸の台地の縁辺部分にあるため、庭園入口まで急な「松連坂」が続き、園内も急な階段が連続しており、園内の散策は苦労を伴いますが、反面、見晴らし台付近からの眺望が素晴らしく、手前に多摩川、都心のビル街、天候に恵まれればスカイツリーや筑波山をも眺望することができるそうです。
園内では季節によって梅や桜が楽しめる他、一年を通じてフクジュソウ、ロウバイ、寒アヤメ、ツツジ、シャクナゲ、アジサイ、ハギ、モミジなどの花が見られるようです。
鳥の種類も多く、春はウグイス、夏はホトトギスの声が聞かれるそうです。
また、「松連庵」と「三櫟庵」を取り巻くように、「心字池」があり、季節によって、水鳥や睡蓮が楽しめるようです。
モミジも多く見られましたが、色づき始めたばかりで、今月下旬から来月上旬あたりがピークかなと言う印象を受けました。
■ 文学碑 百草園は、「江戸名所図会」でも紹介されており江戸近郊の名所となっていたため、徳富蘆花、田山花袋、北村透谷、若山牧水らが訪れていたそうで、園内には、若山牧水の歌碑と芭蕉の句碑がそれぞれ二箇所に建てられています。
小鳥よりさらに身かろくうつくしくかなしく春の木の間ゆく君
者せ諸(はせお(芭蕉)) 志者ら久八(しばらくは)花の上なる月夜か那(な)
者せ諸(はせお(芭蕉)) 春毛やゝ(はるもやや)希し紀(けしき)調ふ(ととのふ)月登(と)梅
■ その他 園内から掘り出された石碑の一部と条件次第で筑波山が眺望できるという松連庵の傍の広場からの眺めです。
石碑の一部は「葷酒入山門」と読み取れます。
松連寺の山門脇に建てられていたものと言われており、この石碑には「葷酒入山門」と刻まれていますが、本来は「
不許葷酒入山門」と刻まれていたものと考えられているそうです。
なお、(葷(くん))は香りの強いネギやニラやニンニクなど)のことだそうで「葷」や「酒」を口にしたものは立ち入りを許さないと言う仏教の教えだそうです。
なお、以下は、庭園入り口付近と園内の階段の様子ですが、起伏に富んだ場所にあるため、車椅子などを使用されている方々にとっては不向きだと思われました。
迂回路などもないようです。
今日はここまでです。
ご来訪有難うございました。