「烏山川緑道」の散歩の途中、宮の坂駅近くにある「世田谷城址」、「豪徳寺」、「世田谷八幡宮」 に続いて、 下図に赤で記した「代官屋敷と世田谷郷土歴史館」、及び「世田谷城」の城主であった「吉良氏」の菩提寺である「勝光院」を訪れました。
■ 代官屋敷と世田谷郷土資料館 「代官屋敷」は、有名な「世田谷ボロ市」通りにあり、「世田谷郷土資料館」もこの敷地内にあります。
◇ 代官屋敷 この屋敷には、世田谷城の城主、吉良家の重臣であった大場氏の居宅があったそうですが、豊臣秀吉の小田原征伐の際、吉良氏が北条氏側に組みしたことから、大場氏も没落し、世田谷において帰農を始めたそうです。
その後、世田谷城主となった井伊家は、大場氏を世田谷領の代官として抜擢起用したため、大場氏はこの屋敷を居宅兼代官役所として使用し、明治維新までこの屋敷で代官職についていたそうです。
古い代官屋敷の建物の配置は下の通りだったそうですが、現存する主たる建物は「表門」と「主屋」で、現在は国の重要文化財になっています。
・ 表門
ボロ市通りに面した幅約三間の茅葺の建物です。
門の傍には、主屋と表門が、国の重要文化財に指定されたことを刻んだ石碑、「代官屋敷」の説明板などが設置されています。
・ 主屋 主屋の平面図(世田谷区資料から抜粋)と外観と内部です。
南側からの眺めです。
二階部分の構造が特徴的と思います。
土間の屋根裏部分、見事な梁です。
手前から奥へ「名主詰所」(板の間)、「代官居間」、「切腹の間」です。
土間から見た「板の間」、「役所の間」、「役所次の間」です。
・ 白州通用門と白州跡
「白州通用門」と「白州跡」です。
◇ 郷土資料館
郷土資料館は、代官屋敷の入口から入ると右奥にあり、世田谷の歴史と文化を伝えるための屋内展示と屋外展示があります。
・ 屋内展示 一階は図書室、二階は常設展示が行われており、世田谷区内の古代遺跡などから発掘された石器や土器、世田谷における江戸氏、吉良氏、後北条氏などの勢力動向、徳川家康江戸進出以降の動向、幕末の動乱期における大場氏の活躍、明治期の世田谷の状況などが展示されています。
また、一階図書室前には、江戸の上水道として使われていた「木樋」が展示されていました。
・ 屋外展示 屋外展示としては、入口の左側に世田谷区内にあった「庚申塔」、「供養塔」、品川用水関連の「標石」など十基ほどが展示されていました。
また、江戸時代、庶民の間では「富士信仰」が盛んだったようで、各地で「講」を結成して登山したり、富士山を模して人工的に築いた「富士塚」に登ることが行われていたようですが、この石碑は、区内の「山吉講」が三十三回目の登山を記念したもので、三軒茶屋付近あったものを移設したものだそうです。
このような石碑は時々見受けられますが、富士山の形をした自然石の碑は珍しいように思います。
こちらは、「大山道」の標石です。
大山道は、相模の国にある「大山阿夫利神社」に通じる各地からの道路の総称だそうですが、世田谷区には三軒茶屋を通る「青山大山道」があったそうです。
■ 勝光院 「勝光院」は、戦国時代、小田原の北条氏が滅びるまで世田谷を支配していた「吉良氏」の菩提寺です。
今日はここまでです。
ご来訪有難うございました。
後日、「烏山川跡を辿って歩くー4(宮の坂駅から北沢川合流地点まで)をUPします。