「妙正寺川」に沿って、「江古田川合流地点」から「高田馬場分水路合流地点」まで散策しました。
■ 江古田公園
この公園は、「妙正寺川」と「江古田川」の合流地点付近の「妙正寺川」の右岸と左岸にあります。
左岸部分は広場、右岸部分は傾斜地で林になっています。
左岸の広場の片隅に、「史蹟 江古田、沼袋古戦場跡」の碑がありました。
この周辺における合戦で、武蔵野を開発してきた「豊島氏」に代わって「太田氏」が武蔵野を支配する契機となった戦いについて刻んだものだそうです。
■ 新井薬師
公園近くの「中野通り」を南方に約1キロメートルのところに「新井薬師」と呼ばれている真言宗豊山派の寺院があります。
正式には「新井山梅照院」だそうで、ご本尊は、薬師如来が表に、如意輪観音が裏にある二仏一体の仏像だそうで、「目の薬師」、「子育て薬師」として篤く信仰されているそうです。
■ 「哲学堂公園」と「哲学の庭」 「哲学堂公園」は、源頼朝の重臣であった和田義盛の城跡に、哲学者であり、東洋大学の創始者であった井上円了博士が、明治37年に精神修行や社会教育の場と哲学を視覚的に教えることを目的として創設されたものだそうです。
また、「妙正寺川」を挟んで対岸に、ハンガリー出身で晩年日本に帰化した「ワグナー・ナンドール(和久奈 南都留)」によって造られ、日本とハンガリーの外交関係樹立150周年・国交回復50周年を記念して中野区に寄贈された「哲学の庭」があります。
・ 「哲学堂公園」 公園内の案内板によれば、園内には77の施設があるそうです。
妙正寺川沿いにも「唯心庭」、「心字池」、「倫理淵」、「理性島」、「心理崖」・・・がありましたが、全く理解不能でした。
ただし、園内には難しい場所だけでなく、子供さんたちも楽しめる運動施設や、広場などもありました。
・ 「哲学の庭」 庭内には歴史上の偉人のブロンズ像が、次の「三つの輪」を構成するよう配置されています。
第一の輪
異なった文化を象徴する思想の祖である五人(老子、キリスト、釈迦、アブラハム、エクナトン)が円形の池の泉の周りに配置されています。
第二の輪
悟りの境地を開いた時代や文化が異なる三人(達磨大師、ガンジー、聖フランシス)が円形に配置されています。
第三の輪
異なった時代において、現存する法の基礎を築いた三人(聖徳太子、ユスチニアヌス、ハムラビ)のが円形に配置されています。
この庭は、「妙正寺川」右岸の地下にある「第二調節池」の地表にあたる部分にあります。
「観象梁(かんしょうりょう)」(別名、富士桟)という橋で「哲学堂公園」と結ばれています。
この橋から見た妙正寺川に懸る桜は綺麗です!(昨年のphotoです)
なお、「哲学の庭」の写真撮影は禁じられています。
■ 調節池
「妙正寺川」沿いの「調節池」の多さにに驚きました。
「妙正寺川沿いを歩くー1」で紹介しました「鷺沼調節池」、「環七地下調節池」に加えて、今回の散策路に「第二調節池」、「第一調節池」、「上高田調節池」、及び「落合調節池」がありました。
さらに、洪水防止のため、嘗ては西武新宿線の「下落合駅」付近で「神田川」に合流していた流路を変更し、現在では、新たに造られた「神田川」のバイパス水路である「高田馬場分水路」の開渠部分に合流させています。
そして、今もなお、水路の改修が続けられているようです。
まさに、「暴れ川」と言われている所以と思います。
・ 第二調節池 哲学堂に面した右岸にある「第二調節池」の呑口です。
地表部は、「哲学の庭」になっています。
・ 第一調節池 「第一調節池」の呑口と吐水口です。
地表部は運動場と公園になっています。
「第一調節池」の下流域の川沿いの地域では、住宅の基礎が堤防よりもかなり高い位置にありました。
洪水に対するの警戒心の現れと思います。
・ 上高田調節池 上高田運動公園の地下を利用して造られている「上高田調節池」の呑口です。
・ 落合調節池
左岸にある「落合調節池」の呑口です。
地表部は、「落合公園」になっています。
■ 林芙美子記念館 「妙正寺川」の下流域は、「武蔵野台地」の東端に位置しており、「妙正寺川」が幹となり、その支流が枝となって武蔵野台地を穿ち、複雑な地形を形成しいます。
とくに、「林芙美子記念館」や「目白大学」のある「中井駅」北側の舌状の台地は「目白台」の南西側先端部分にあり、急な崖を形成しています。
台地上へ通じる坂道には「一の坂」「二の坂」・・・「八の坂」などの名称がつけられています。
「林芙美子記念館」があるのは「四の坂」の登り口付近です。
「浮雲」や「放浪記」などで有名な「林芙美子」が、1941年(昭和16年)から生涯を閉じるまで10年間を過ごした自宅が記念館となっているものです。
茶の間や書斎や庭などの他、夫であった画家の緑敏のアトリエも現在は展示室となっています。
■ 高田馬場分水路との合流部 「中井駅」に隣接する川の傍の小道に戻り、「下落合駅」の方向に進みますが、途中、西武線が妙正寺川とクロスする部分で行き止まりとなります。
この付近では、妙正寺川の豊富な水を利用した「染物」が盛んだったそうで、「江戸小紋」を染める工場が今もなお存在しているようです。
少し迂回して、再び川の傍の小道に出ると間もなく「下落合駅」で、「妙正寺川」の終わりの地点はもうすぐです。
「下落合駅」近くの「辰巳橋」の袂にある「神田川」の「高田馬場分水路」の吐水口です。
一見、「妙正寺川」に、分水路が合流しているように見えますが、「妙正寺川」はここまでで、これより下流は「高田馬場分水路」の開渠部分だそうです。
開渠は、再度、暗渠となり、「明治通り」の地下を流れ、「高戸橋」と「高田橋」の間で「神田川」に合流することとなります。
「妙正寺側に沿って歩く」はこれで終わりです。
ご来訪有難うございました。